宮古島へ足を踏み入れるのは、私にとって初めての経験。もちろん、宮古の教会も初めてである。
私は沖縄で生まれ育っているので、宮古島と宮古の教会に今になって初めて行ったということそのものについては、
心の中では、何か大変申し訳ない忸怩たる思いがある。だが、今まで宮古に行けなかったというのは、私自身の怠慢というよりも、
むしろ、主が、今回訪問するまで、宮古に行こうという思いを私の心に起こさず、行ける環境も与えて下さらなかったからなのだと理解したい。
今回私が宮古に行くことができたのは、明らかに、主のタイミング、「ゴーサイン」によるのである。
宮古教会の兄弟姉妹とお交わり持ち、暖かいおもてなしを受け、教会の奉仕の一部に加えていただいたとき、
兄弟姉妹方と私の内に住まわれるイエス様が御霊の御働きとともに、私の中にこれから先の日々を歩む力を新たに加え、
ギアをハイに入れて下さったような感覚を覚えた。宮古教会の兄弟姉妹方とともに過ごしたひと時は、これからの私の歩みに
強烈な新たなインパクトを与えた。なぜ、主が、今のこのタイミングで宮古教会を訪問することを私に許可したのか、という答えは、
宮古教会の兄弟姉妹方の交わりの中にある。主がその交わりの中におられるからである。
宮古教会に神様の大いなる御祝福がありますように。イエス・キリストの御名によって。アーメン。
2008年09月20日
2008年07月20日
2007年09月03日
雅歌2:3〜6
私の愛する方が若者たちの間におられるのは、
林の中のりんごの木のようです。
私はその陰にすわりたいと切に望みました。
その実は私の口に甘いのです。
あの方は私を酒宴の席に伴われました。
私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。
干しぶどうの菓子で私を力づけ、
りんごで私をげんきづけてください。
私は愛に病んでいるのです。
ああ、あの方の左の腕が
私の頭の下にあり、
右の手が私を抱いてくださるとよいのに。


